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テクノロジー

二人のラリー

COO室の曽根です。

『二人の』シリーズ、第三回目は『二人のラリー』をお届けします。

ラリーと聞いての「ラリー・ペイジ(Google)」と「ラリー・エリソン(Oracle)」を思い浮かべた方も少なくないかと思いますが、今回はラリー・ウォール(1954年生まれ)とラリー・テスラー(1945年生まれ)をご紹介します。

ラリー・ウォール。wall.orgなんてドメインを所有している、それだけでなんか神々しい人物。プログラム言語Perl(パール)の開発者である。西海岸のフラワームーブメントを体現するかのような風ぼうを持つ彼のことをクロスビー・スティルス&ナッシュの一員だと言っても誰も疑問に思わないかもしれない。リチャード・ストールマン(Richard Matthew Stallman, 1953年生まれ)しかり、この時代のプログラマには何か共通のメタファーを感じざるを得ないのは自分だけではないだろう。そう、俗にアーティストと呼ばれる職業の人間が持つ、独特の雰囲気があるのだ。浮世離れした風ぼう、数マイル先まで見えていそうな眼。もしかしたらプログラミングというのは芸術の一種だということの証左なのかもしれない。

もう一人はラリー・テスラー。彼がゼロックスのパロアルト研究所にいたとき、ある人物を所内に案内をしたことがあるらしい。その人の名はスティーブ・ジョブズ(1955年生まれ)。このパロアルト研究所への訪問がMacintosh(マッキントッシュ)の製作を大いに啓発したといわれている。なんとも歴史的な橋渡しをしたのがテスラーなのである。テスラーはその後、Appleへ入社。1980年から1997年まで勤務し、最後はチーフ・サイエンティストの肩書を最後にその職を辞している。2001年にはAmazon.comに入社、2005年には米国のYahoo!に移り、UED(ユーザー・エクスペリエンス・デザイン)を主導し、現在はマウンテンビューの会社、23andMeに在籍している。Macintoshの本流にいた人物がこうしてウェブの世界に魂を注入してくれているのは頼もしい限り。

筆者はエレベータの中でテスラーに遭遇したことがある。そのときは「インターネットの会社なのに結構年をとった人もいるんだな。どこの部署の人かな?」と、彼の首からぶらさがっていた身分証明書を見て “Larry Testler” という名前だけを覚えていた。なんとも不勉強で失礼な話だったと今でも反省している。

テスラーが在籍していた時代のパロアルト研究所にはGUI(Graphical User Interface)の第一人者、アラン・ケイ(1940年生まれ)が在籍おり、ジョブズはケイとも会ったと言われている。ケイも1984年にAppleに入社しており、その前はジョブズ、ケイともにゲーム会社のATARI(アタリ)で働いていたことがある。どちらかが声をかけたのか、磁石のように寄り合ったのか、ぜひ一度本人たちに聞いてみたいところだ。

最終回の次回は「二人のマーク」をお届けします。

第一回「二人のティム」はこちら
第二回「二人のジム」はこちら

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